第二次世界大戦中、ナチスは占領下のポーランドに人類史上最大の絶滅収容所を建設した。アウシュヴィッツ=ビルケナウ。約23万2千人の子どもがそこに送られた。そのうち20万人以上が、到着したその日に殺された。列車を降り、親の手を握ったまま、祖父母と並んで、家族全員でガス室へ歩かされた。何かをしたからではない。ただ「何者であるか」という、それだけの理由で。
だが、ガス室に送られなかった子どもたちがいた。SS軍医ヨーゼフ・メンゲレが選び出した子どもたちだ。囚人たちは彼を「死の天使」と呼んだ。メンゲレは双子に異常なまでの執着を持っていた。満員の列車がビルケナウのホームに到着するたびに、怯える家族の列を歩きながら「Zwillinge! Zwillinge!(双子だ!双子だ!)」と叫び、母親の腕から子どもを引き離しては、自分の実験棟へ送り込んだ。
約1,500組の双子がメンゲレの実験棟を通過した。彼がしたことは医学ではない。白衣を着た拷問だ。子どもの目に染料を注射して、目の色を変えようとした。血液型の異なる双子同士で輸血を行った。片方にわざと病原体を感染させ、もう片方と比較した。実験で片方が死ぬと——それは珍しくなかった——すぐにもう片方も殺して解剖した。生き残ったのは、200人に満たない。
エヴァとミリアム・モーゼス姉妹は、その生存者だった。現在のルーマニアにあたるトランシルヴァニア地方、ポルツ村出身の10歳の双子。1944年にアウシュヴィッツに到着した。両親と2人の姉は、同じ日にガス室で殺された。エヴァとミリアムはメンゲレの実験棟に送られ、何カ月もの間、注射と採血と、理解することすらできない実験を受け続けた。注射はミリアムの腎臓に回復不能な損傷を与えた。一生消えない傷だった。
1945年1月、ソ連軍が収容所を解放した。その後の50年間、エヴァはアウシュヴィッツが刻んだ傷と共に生きた。悪夢。怒り。家族は死に、自分だけが生き残ったという罪悪感。これが、収容所が命を奪わなかった人間に残した本当の傷だった。そして1995年——彼女が生き延びたどんな体験よりも世界を驚かせる、ある選択をする。
ナチスを赦したのだ。
アウシュヴィッツ解放50周年。エヴァはかつて自分が囚われていたその場所に立っていた。隣には、収容所で勤務していたドイツ人医師ハンス・ミュンヒ。エヴァはカメラの前で赦しの宣言を読み上げ、署名した。反発は即座だった。生存者たちは激怒した。「赦す権利はあなたにはない。赦せるのは死者だけだ。そして死者は沈黙している」。「殺人者を免罪するのか」と詰め寄る者もいた。
エヴァの答えは揺るがなかった。「赦すのは、彼らにその資格があるからではありません。私にその資格があるからです。私はこの苦しみから自由になる資格がある」。彼女にとって赦しとは、加害者を免罪することではない。とっくに死んだ人間に、これ以上自分の人生を支配させないという拒絶だった。「仏の顔も三度まで」という。どんなに寛大な者でも、三度目には怒る。エヴァは三度どころではなかった。五十年間、耐え続けた。そしてついに限界を迎えたとき——彼女が選んだのは、怒りではなかった。手放すことだった。「怒りと憎しみは戦争の種です。赦しこそが、平和の種なのです」。
2019年、エヴァ・モーゼス・コルはアウシュヴィッツへの再訪中に、85歳で息を引き取った。何十年にもわたって繰り返しあの場所を訪れ、学生たちや生存者と共に同じ門をくぐり、かつて自分が閉じ込められていた収容棟で自らの体験を語り続けた。彼女の選択が正しかったのか。答えは出ていない。だが、赦しとは自分を傷つけた相手のためではなく、自分自身のためにするものだという信念——それは、地上で最も暗い場所から生まれた、最も力強い言葉のひとつだ。
