紀元前780年ごろのこと。古代中国の大国・西周を治めていた幽王(ゆうおう)は、ひとりの女性に心を奪われていた。名は褒姒(ほうじ)。王の寵妃で、息をのむほどの美貌の持ち主だった。ただ、ひとつだけ問題があった——彼女は一度も笑わなかったのだ。贈り物をしても、宴を開いても、楽師や踊り子を呼んでも、その顔は玉のように冷たく、微動だにしなかった。
幽王は懸賞を出した。「褒姒を笑わせた者には千金を与える」。楽師が挑み、曲芸師が挑み、道化が挑んだ。誰ひとり成功しない。そんなとき、家臣の虢石父(かくせきほ)がとんでもない策を持ちかけた——狼煙(のろし)を上げましょう、と。
なぜそれが「とんでもない」のか。狼煙とは、西周の国防を支える最終手段だった。国境沿いに数百里にわたって烽火台が連なり、外敵が攻めてくれば最寄りの塔に火を灯す。炎は次の塔へ、さらに次の塔へと伝わり、数時間で全国の諸侯に届く。諸侯たちは全軍を率いて王都に駆けつける——それが決まりだった。この仕組みが動くのは、たったひとつの場面だけ。「国が滅びる。今すぐ来い」。
幽王は狼煙を上げた。各地の諸侯が軍勢を率いて一斉に駆けつけた。馬は汗まみれ、兵は完全武装、軍旗がはためいている。王都・鎬京(こうけい)に着くなり戦の構えをとった。ところが——城楼の上にいたのは、くつろいだ様子の幽王と褒姒だけ。敵はいない。危機もない。王がひとりの女性の気を引こうとしていただけだった。褒姒が眼下を見渡した。困惑し、疲れ果て、面目を潰された諸侯たちの姿を。そして——ついに笑った。
幽王は大喜びした。だからまたやった。そしてまた。回を重ねるたびに駆けつける諸侯は減り、怒りだけが膨らんだ。国を守るための仕組みに、亀裂が走っていく。「仏の顔も三度まで」という言葉がある。だが幽王が相手にしたのは仏ではなかった——戦場に命を懸ける武将たちだ。三度どころか、彼は何度も信頼という燃料をくべ続け、最後の一片まで燃やし尽くした。
紀元前771年、西方の遊牧民族・犬戎(けんじゅう)が本当に攻めてきた。幽王は狼煙を上げた。今度こそ本物の危機だった。炎が塔から塔へと伝わっていく。だが、返ってきたのは沈黙だけだった。誰ひとり来なかった。犬戎は鎬京を陥落させ、幽王を殺し、褒姒を奪い去った。275年にわたって中国を治めた西周王朝は、こうして終わりを迎えた。「嘘の警報」を繰り返した、たったひとりの王のせいで。
この物語を記したのは、紀元前100年ごろの歴史家・司馬遷(しばせん)。その著書『史記(しき)』は中国史上もっとも重要な歴史書のひとつとされ、以来二千年以上にわたって読み継がれてきた。どの時代の読者も、同じことを思う。どれほど精巧な警報システムも、それを握る人間が信頼に値しなければ、無に等しい。
