西暦366年。ゴビ砂漠のど真ん中に、一人の僧がいた。名は楽僔(らくそん)。シルクロード——中国と西の世界をつないでいた古代の交易路を、ひたすら西へ歩いていた。日が傾き、喉はからから。周りに人の気配はない。そんな彼の目の前に、敦煌という町のはずれにそびえる巨大な砂岩の崖が現れた。
沈みゆく夕日が崖に最後の光を投げかけた、その瞬間だった。岩肌全体が黄金色に燃え上がり、楽僔は見た——光の中に浮かび上がる千の仏。荘厳で、慈悲に満ちて、まるでこちらを見つめているようだった。悟りだったのか。砂漠の夕日が砂岩に見せた壮大な幻だったのか。どちらでもよかった。楽僔はその場にひざまずき、一つの誓いを立てた。
この崖を、聖なる場所にする。楽僔は自らの手で岩を削り、最初の瞑想窟を掘った。しばらくして、法良という僧がたまたま通りかかり、心を動かされて隣にもう一つ掘った。果てしない砂漠に、ぽつんと二つの小さな穴。すべてはここから始まった。
ここからの展開が信じられない。噂はシルクロードを伝って広がり、僧侶、絵師、商人、巡礼者が続々とやって来た。そこから千年にわたって、世代から世代へとバトンが渡され、同じ崖に約500の洞窟が掘られていった。当時の敦煌は、地球上で最も活発な交易ネットワークの交差点。砂漠を越える大商人たちが、無事を祈って洞窟まるごと一つを寄進するのが当たり前だった。
ただの穴ではない。どの洞窟も一つの芸術作品だった。壁という壁が、床から天井まで仏、天女、シルクロードの人々の暮らしで埋め尽くされていた。最も大きな仏像は高さ30メートル超。崖からそのまま彫り出されたものだ。壁画の総面積は約4万5000平方メートル。サッカーコート約8面分と言えば、その途方もなさが伝わるだろうか。
だが永遠は続かなかった。15世紀以降、海のルートが陸路に取って代わり、シルクロードは途絶えた。敦煌から人が消え、砂が洞窟の入り口を少しずつ埋めていった。壁画は闇に沈んだ。約500年もの間、人類が生み出した最大級の芸術が、砂漠の静寂の中で忘れ去られていた。
転機は1900年に訪れた。王円籙(おうえんろく)という道士が、ある洞窟の砂を掃除していたとき、隠された扉を見つけた。その奥には、何百年も封印されていた小部屋があった。5万点を超える古代の写本、絹絵、織物がぎっしり詰まっていた——千年以上前のものも含まれていた。考古学史に残る大発見。莫高窟は、ついに長い眠りから目を覚ました。
「一念岩をも通す」という言葉がある。強い思いは岩をも貫く、という意味だ。だが楽僔の場合、岩を貫くどころの話ではなかった。たった一度の「見えた」という確信が、千年かけて500の洞窟を生んだ。疲れ切った一人の僧が、夕暮れの砂漠で、他の誰にも見えなかったものを見た。歴史とは、ときにそういうものだ——たった一瞬のまなざしが、千年の奇跡を動かす。
